敵対した人はまず無事にすまない立花宗茂のガイドライン

・筑後岩屋城の戦いで壮絶な戦いの末、実父が島津に討たれるも立花山城で島津を迎え撃ち撃退。
・肥後国人一揆の際に一日に13回も出陣して7つの城を攻め落とす。
・秀吉に東に本多という天下無双の大将あれば西に立花という天下無双の大将あり、と激賞される
・文禄の役で明・朝鮮連合軍4万を小早川秀包とともに4千の兵で撃退
・慶長の役では800人の兵で2万2千人の敵兵を撃破。
・勝てっこないという家臣に「勝ち負けは関係ない」と言い放ち西軍へ
・紆余曲折を経て、関が原で島津が壮絶な敵中突破を果たして落ち延びてくる。
・立花宗茂と陣が隣り合う。
・家臣が「今こそ仇を討つべし」というものの「そんな卑怯なことは出来ない」と同盟締結
・やっと落ち延びた柳川の居城が過去に助けた徳川方武将に包囲される
・恭順の意思を示すため、宗茂は居城に残り、家臣団だけで出陣
・1300人ちょっとの軍勢で敵方3万2千人に一度は勝利を得るほどの奇跡を起こすも、加藤清正からの
 説得を受けて開城・降伏
・命からがら薩摩に落ち延びた島津は、すぐさま筑後柳川の立花救援に向けるも柳川に着いたのは
 開城から3日後
・以後、改易されて浪人となるが引く手あまたでありながら、これを拒否、食客として遇される。
・その後、徳川家康の直臣となり、秀忠、家光まで仕え、島原の乱でも活躍。

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Last-modified: 2010-08-01 (日) 15:47:28 (2851d)